■ 唾が「体内にある時」と「外に出た時」の違い
養老孟司さんのお話でよく出てくる例ですが、
唾は身体の中にある時にはまったく気にならないのに、
外に出た途端「汚い」と感じられます。
唾はずっと自分の中にあったものです。
それなのに、外に出た瞬間に嫌悪を向ける。
この話には、
「人間は皆えこひいきをしている」という大きな示唆があります。
■ 感情に対しても同じことが起きている
怒りも悲しみも、誰の中にもあるものです。
それは唾と同じように「内側」にあるものです。
ところがいざ外に出そうとすると
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汚いもの
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出してはいけないもの
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見せたら嫌われるもの
として避けたくなってしまう。
それでは赤ん坊や小さな子どもはどうでしょうか。
泣いて、怒って、感情をそのまま出しますが
「汚い存在」だとはみなされません。
むしろ“可愛さ”として受けとめられています。
ここには人間の極めてエゴ的な選別(エゴひいき)あります。
■ エゴが狭める世界
「これは悪い」「これはダメ」
というエゴ的な判断基準だけで生きていると、
世界はどんどん狭くなっていきます。
やがてそれは
他人の粗探し
という形で外に向かって広がっていきます。
自分が認めていないものを外で見たとき、
排除したくなるのは当然の流れです。
■ 自分にもそんな時期があった
私自身、
「男たるもの泣いたらダメ」
「人には優しくあるべき」
「嘘は絶対にいけない」
と強く思い込んでいました。
そしてその価値観を使って外側を批判していました。
親が悪い
社会が汚い
障害ラベルが人を苦しめている
自分がそれを救わなければならない
結局それもまた
「自分だけは正しい」というエゴひいきだったのです。
■ 本当に“生きる力”がある人たち
私がかつて関わった自閉症の当事者の方々は、
むしろ“自分の世界”を素直に受け入れて生きていました。
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綺麗/汚いという判断がない
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感情に正直
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他人を無理に変えようとしない
現実に起きていることをそのまま受け取り、
正面から関わって生きている姿に
私は“生きる力”の本質を教えてもらいました。
■ 最後に
どんな感情も、
「自分の中にあるものだ」と認めた瞬間に、
世界の見え方は変わります。
世界や他人を見る前に、
自分がどんな世界を見ているのか に気づくこと。
そこに、本当に健全な生き方の入口があるのです。

