「唾は汚い?」―感情とエゴひいきの話

2024.12.04

■ 唾が「体内にある時」と「外に出た時」の違い

養老孟司さんのお話でよく出てくる例ですが、
唾は身体の中にある時にはまったく気にならないのに、
外に出た途端「汚い」と感じられます。

唾はずっと自分の中にあったものです。
それなのに、外に出た瞬間に嫌悪を向ける。

この話には、
「人間は皆えこひいきをしている」という大きな示唆があります。


■ 感情に対しても同じことが起きている

怒りも悲しみも、誰の中にもあるものです。
それは唾と同じように「内側」にあるものです。

ところがいざ外に出そうとすると

  • 汚いもの

  • 出してはいけないもの

  • 見せたら嫌われるもの

として避けたくなってしまう。

それでは赤ん坊や小さな子どもはどうでしょうか。
泣いて、怒って、感情をそのまま出しますが
「汚い存在」だとはみなされません。
むしろ“可愛さ”として受けとめられています。

ここには人間の極めてエゴ的な選別(エゴひいき)あります。


■ エゴが狭める世界

「これは悪い」「これはダメ」
というエゴ的な判断基準だけで生きていると、
世界はどんどん狭くなっていきます。

やがてそれは

他人の粗探し

という形で外に向かって広がっていきます。
自分が認めていないものを外で見たとき、
排除したくなるのは当然の流れです。


■ 自分にもそんな時期があった

私自身、

「男たるもの泣いたらダメ」
「人には優しくあるべき」
「嘘は絶対にいけない」

と強く思い込んでいました。
そしてその価値観を使って外側を批判していました。

親が悪い
社会が汚い
障害ラベルが人を苦しめている
自分がそれを救わなければならない

結局それもまた
「自分だけは正しい」というエゴひいきだったのです。


■ 本当に“生きる力”がある人たち

私がかつて関わった自閉症の当事者の方々は、
むしろ“自分の世界”を素直に受け入れて生きていました。

  • 綺麗/汚いという判断がない

  • 感情に正直

  • 他人を無理に変えようとしない

現実に起きていることをそのまま受け取り、
正面から関わって生きている姿に
私は“生きる力”の本質を教えてもらいました。


■ 最後に

どんな感情も、
「自分の中にあるものだ」と認めた瞬間に、
世界の見え方は変わります。

世界や他人を見る前に、
自分がどんな世界を見ているのか に気づくこと。
そこに、本当に健全な生き方の入口があるのです。

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