「腹が座る」「肝が据わる」
日本語には、心の安定や覚悟を頭ではなく腹で表現する言葉がたくさんあります。
身体心理療法では、この「腹」をとても大切にします。
ただし、ここで言う腹は「感情的」という意味ではありません。
むしろ
感情よりももっと深い、原初的なレベルで働いている場所
それが腹です。
▫️腸は「脳の下請け」ではない
解剖学的に見ると、腸には
腸内神経系(Enteric Nervous System)という
独立した巨大な神経ネットワークがあります。
・神経細胞の数は数千万〜1億個以上
・脊髄を介さず、腸単体で情報処理ができる
・消化だけでなく、ストレス・安全/危険の判断にも関与する
つまり腸は
「脳の指令を待つ器官」ではなく
環境を感じ、判断し、脳に伝える側でもあるのです。
▫️「第二の脳」ではなく、二つの第一の脳
よく「腸は第二の脳」と言われますが、
臨床の感覚では、こう言った方がしっくりきます。
脳と腸は、上下関係ではなく並列関係
・頭の脳:言語・計画・意味づけ
・腹の脳:生存・安全・リズム・直感
どちらも「第一の脳」。
ただ、役割が違うだけです。
▫️ゲシュタルト療法が「身体に声を与える」理由
ゲシュタルト療法には
「身体を感じる」
「身体の部位に声を与える」
というアプローチがあります。
これは比喩でも、イメージワークでもありません。
解剖学的・生理学的に見ると、
すでに身体は判断し、反応し、情報を持っている。
言葉がないだけです。
ゲシュタルトの技法とは、
この言語以前の情報処理を、意識の場に迎え入れる方法です。
▫️身体には“言語以前”の知性がある
腸、内臓、筋膜、自律神経系は
脳とは別の回路で働いています。
特に腸は、
・外界や人間関係の変化
・環境の「知らなさ」「安全でなさ」
・緊張や違和感
こうしたものを、
感情になる前にキャッチします。
だからこそ、
頭では「楽しいはず」の旅行なのに
知らない土地に行くと腹痛や下痢、便秘が起こる。
これは偶然ではありません。
▫️なぜ人は「食べたもののせい」にしたがるのか
臨床で本当によく聞く言葉があります。
「昨日、辛いものを食べたから」
「お腹を冷やしたから」
「もともと胃腸が弱いんです」
もちろん、それらが引き金になることはあります。
しかし多くの場合、それは原因ではありません。
・同じものを食べても平気な日がある
・冷えても症状が出ない日がある
・症状が「状況」に反応している
ここに大きなヒントがあります。
▫️それは“脳による上書き”という防衛
解剖学的・臨床的に見ると、こう理解できます。
腸や身体は
→ すでに環境ストレスや違和感を感知している
→ それを症状として表現している
しかし脳は、後からこう言います。
「食べ物のせいにしよう」
「体質の話にしよう」
「心理的な意味は見ないでおこう」
これは無意識です。
身体の声を、脳の説明で覆い隠している
と言ってもいい。
▫️現実を見ないための、高度な知恵
これは「逃げ」ではありません。
・不安
・人間関係の緊張
・環境への違和感
・安全が揺らぐ感覚
それらを感じるより、
「冷え」「辛いもの」「体質」にしてしまった方が
その人にとって安全な場合がある。
つまりこれは
生き延びるために身につけた、非常に洗練された防衛です。
身体心理療法では、これを否定しません。
▫️身体に声を与えるとは、防衛を壊すことではない
ゲシュタルト療法で
「お腹に声を与える」
「胸に話させる」
というのは、
無理に真実を暴くことではありません。
身体がすでに知っていることを、少しだけ許可する
そのプロセスです。
脳の説明を一度脇に置き、
身体の反応をそのまま感じる。
それだけで、統合は自然に起こります。
▫️腹は正直、頭は後づけ
腸は、
・納得しない
・説明を受け取らない
・ポジティブ思考も通用しない
ただ
「安全か、危険か」
それだけを感じます。
頭はとても賢い。
だからこそ、後づけの理由を作れます。
頭が黙ったとき、身体は語り始める。
▫️腹が座るとは、第一判断が変わること
腹が緩むと、
・呼吸が変わる
・声が変わる
・姿勢が変わる
・選択が変わる
これは「気分が良くなった」からではありません。
身体の第一判断が変わった
からです。
「考えてから感じる」のではなく
「感じてから考える」
この順序が戻ったとき、
人は本当の意味で「腹が座る」。

