普通、人は「楽になりたい」と思います。
痛みや苦しさを悪とし、
それを排除することが正義であるかのように、
私たちは必死に取り除こうとします。
たとえば、
失恋の痛みをお酒で忘れる。
忙しさで考えないようにする。
前向きな言葉で上書きする。
これらも確かに「楽になる」方法です。
けれど、これは安楽さです。
■ 安楽さとは、何も起こらない状態
安楽さとは、
痛みを感じない状態をつくること。
一時的に楽にはなります。
しかし、痛みそのものは
心や身体の奥に温存されたままです。
感じないようにしているだけで、
実際には何も終わっていません。
そのため、
・同じ苦しさが形を変えて繰り返される
・どこか停滞した感じが続く
・生きているのに、動いていない感覚がある
という状態になりやすい。
安楽さは、
無限ループの中で静止することです。
■ では、気楽さとは何か
一方で、気楽さはまったく別のものです。
気楽さとは、
「痛みや不快さがあっても、
それと共に在ることができる状態」
痛みを消すことでも、
なかったことにすることでもありません。
「この感覚があっても、自分は大丈夫」
「感じても、壊れない」
そうした内側の余白がある状態です。
不思議なことに、
この余白が生まれたとき、
心ではなく、身体が先に動き始めます。
■ 身体と神経は、説得では動かない
神経はとても原始的で、
・安全か、危険か
・いま生き延びられるか
・身体は守られているか
これだけを、
無意識のうちに判断しています。
どれだけ頭で
「大丈夫」「もう終わった」と理解していても、
・呼吸が浅い
・肩や顎に力が入っている
・内臓が冷えている
・身体が固まっている
この状態では、
神経は「危険」と判断し続けます。
神経は、
言葉や理屈よりも、
身体の状態を信じるのです。
■ 身体が変わると、神経が変わる
逆は、とても確かです。
・呼吸が少し深くなる
・足の裏に体重が乗る
・背中やお腹が緩む
・温かさが戻る
これだけで、
・思考が静まる
・不安が後ろに下がる
・感情が自然に動き出す
ということが起こります。
何かを解決したわけではないのに、
世界の感じ方が変わる。
これが、神経の働きです。
■ 安楽さは神経を鈍らせる
お酒、過剰な刺激、忙しさ、
強すぎるポジティブさ。
これらは一時的に
神経の感覚を麻痺させます。
苦しさは感じなくなる。
でも同時に、
・喜びも
・動きも
・変化も
感じにくくなっていきます。
これは「楽」ではあるけれど、
生きている感覚とは違う。
■ 気楽さは、神経が回復しているサイン
気楽さとは、
「神経が『いまここは大丈夫』と
静かに判断している状態」
です。
痛みがあってもいい。
問題が解決していなくてもいい。
それでも、
・呼吸がある
・身体がここにある
・感覚が戻ってきている
このとき、
神経は回復のモードに入っています。
■ 神経が整うと、人は変わる
神経が落ち着くと、
・無理に頑張らなくなる
・境界線が自然に生まれる
・嫌なものに「NO」が言える
・必要なものに手が伸びる
これは性格の問題ではありません。
神経の状態が変わった結果です。
■ おわりに
本当に楽になるとは、
痛みが消えることではありません。
痛みがあっても、
生きている感覚が戻ってくること。
それが、安楽さではなく、気楽さ。
身体に戻り、
神経が静かに落ち着いたとき、
気楽さは「つくるもの」ではなく、
あとから立ち上がってくるものとして現れます。
salon sonomamaでは、身体心理療法・ゲシュタルト療法をベースに、安心の場で身体や感情を扱うセッションを行っています。
完全予約制で、対面以外にもオンラインにも対応しております。
お気軽にご相談くださいませ。

