セラピスト育成で大切にしてきたこと
3年ほどセラピスト育成をしていたことがあります。
参加していた方にはカウンセラーの方もいましたが、当時私が積極的に声をかけていたのは、心理療法や心理学の知識のない方の方が多かったと思います。
それは、私が考えるセラピストの最も大切な要素は、知識やスキルではなく人間的な在り方だと確信していたからです。
知識習得や技術習得はもちろんありますが、基本的にそれがどうでも良いことだと実感するまで、毎日のように実践練習とクライアントの体験をしてもらっていました。
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◾️「何もしない」という在り方
そこで伝え続けたのが「何もしない」という在り方です。
このベースにあるのは、私の自閉症の方達との関わりです。あの方達との関わりは、私の人生にとってそれほど大きいものでした。
心理学的な知識、心理療法のアプローチ、身体的な療法、東洋の体験的なこと、スピリチュアルな世界観も、すべて自閉症支援者として体験してきたことの裏づけ程度のものです。
たとえ何かを知っていても、文字や言葉の中に人の心や身体は存在しません。
その体験のおかげで、勉強し始めた時に物凄い臨場感を持って腑に落ちていったのを覚えています。
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◾️セラピーの方向性は「2つ+1つ」
セラピーや対人支援の方向は、大きく分けて2つ、番外編で1つあると考えています。
1. 社会の要求に応えて、社会の基準値に近づけていく方向
2. 心を解放し、解放された心でもう一度自分に統合していく方向
3. 番外編:解放のプロセスをし続ける方向
イメージで言えば、頑張って社会のために緊張していく方向と、自己を深め自分を弛緩して再出発する方向です。
番外編は普通の人にはほぼ不可能ですが、自閉症と言われる方の世界を体験出来れば少しは触れられます。
(健常者の狭い意識で勝手に作った特性とかってのではありません。)
例えば、揺れる葉っぱを半日ほど微動だにせず見続けてみたり、夜になるまで水の音だけを聞き続けてみたりしてください。
きっと普通の意識では、いちいち意味を探し始めるので無理でしょう。
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◾️社会の主流と「論外」な方向性
今の社会で一番多いのが、社会の要求に応えるために緊張させる方向です。
普通の意識に適合しないものを「病気」とし、治す対象として治療することです。
もっと社会的に認められる個性を発揮し、社会的に認められる抑圧状態に戻しましょう、ということですから、これは論外ですね。
心理療法のスキルをいくら持っていても、そのセラピストの生き方・在り方が「治す対象」という否定を生めば、クライアントは無意識に否定され緊張を強めることになるのがわかると思います。
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◾️解放することの大切さ
私は解放していくことを、とても大切に伝えます。
解放とは、自己を含め、全力で自分自身になっていくということです。
緊張からの解放、だけでなく、ただ自然体で在る事です。
本来クライアントが治すべきものなど、どこにもありません。
その人をその人たらしめるもの全てが、その人です。
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◾️「何もしない」の本質
「何もしない」というのは、ただ放置するのではありません。
私は”関係の中の無関心”という一つのスキルとして捉えています。
相手の前にちゃんと存在しながらも、判断せず、評価せず、気配も消さない。
その人の全てを、その人として見ていることです。
病気だとレッテルを貼られた人達は、「そのままであっていい」という体験を、緊張によって奪われてきています。
セラピストができることがあるとすれば、その心や身体の緊張をちょっと肩代わりしたり、もっと自分自身を感じられる呼吸を一緒にやったり、その程度のものなのです。
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◾️最後に
何かをすることが美化され過ぎているからこそ、何かをしないことの素晴らしさを感じることが、最もセラピー的だと私は感じています。
自分の存在が解放されれば、大抵の人は「しゃーないなー」と言いながら、居心地のいい生き方に変わっていくのです。

