〜セラピーにおける“安全神話”と、回復が起こる本当の条件〜
セラピーの現場ではよく、
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まずは安全が大事
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無理をしない
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神経系を整える
といった言葉が使われます。
特に近年は、ポリヴェーガル理論の広まりとともに、
「安全」が非常に重視されるようになりました。
これは間違いなく大切な視点です。
実際、安全感がなければ、人は深く感じることも、触れたくないものに向き合うこともできません。
けれど、現場に立ち続けていると、ある違和感が生まれてきます。
それは、
安全にしすぎると、変化が起こらないケースが増えている
という事実です。
本来、「安全」は回復のための土台であるはずです。
しかし、その「安全」がいつの間にか、不快を避けるための理論として使われ始めると、セラピーは変化ではなく停滞を生みます。
この記事では、セラピーにおける「安全神話」の問題点と、実際に回復が起こるために必要な条件について、神経系、ゲシュタルト療法、精神分析の視点を交えながら考えていきます。
▪️安全に偏りすぎたセラピーで起こること
安全を優先するあまり、
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不快に触れない
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揺れを避ける
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負荷をかけない
こういった関わりが続くと、クライアントは一時的には落ち着きます。
表情も穏やかになり、セッション直後のしんどさも少ない。
一見すると、うまくいっているように見えます。
けれど、それが長期化すると、
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問題の核心に触れない
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行動パターンが変わらない
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「分かっているのに変われない」が続く
という状態に入りやすくなります。
これは安定ではありません。
停滞です。
苦しさが出ていないのではなく、
苦しさに触れない技術だけが上達していることすらあります。
▪️「安全」を誤解していないか
ここで一つ、重要な確認をしておきます。
「安全」とは、本来
不快が存在しない状態のことではありません。
むしろ本当の安全とは、
不快や揺れが起きても、それを扱える余地があることです。
つまり、
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怖さが少し出ても大丈夫
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怒りが少し動いても崩壊しない
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悲しみが浮かんでも戻ってこられる
そういう「器」としての安全です。
ところが現場ではしばしば、これが
安全=波が立たないこと
安全=しんどくならないこと
として理解されてしまいます。
するとセラピーは、回復の場ではなく、
揺れを起こさない技術になっていきます。
しかし人は、揺れないことで変わるのではありません。
揺れながら、前より少し違う在り方を体験することで変わるのです。
▪️神経系は「安全」だけでは育たない
神経の調整において、適切な負荷は不可欠です。
これは筋肉とよく似ています。
筋肉は、負荷がゼロであれば強くなりません。
むしろ、使われなければ維持すらされず、弱っていきます。
神経系も同じです。
もちろん、過剰な刺激は逆効果です。
圧倒や再トラウマ化は、防衛を強めるだけです。
けれど一方で、刺激がまったくない状態、
不快が徹底的に排除された状態でも、神経は育ちません。
人が柔軟性を獲得するのは、
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耐えられる範囲内で
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でも快適ではなく
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少し怖さや不快さがある
そんな領域に入ったときです。
この「少し不快なゾーン」において、神経系は新しい反応を学習します。
いつもなら固まる場面で、少し息ができる。
いつもなら飲み込むところで、少し違和感を言葉にできる。
いつもなら逃げるところで、少し留まれる。
そうした微細な変化の積み重ねが、神経の再編成を起こしていきます。
▪️ゲシュタルト療法の視点
〜変化は「接触」の中で起こる〜
ここでゲシュタルト療法の視点を入れると、話はさらに明確になります。
ゲシュタルト療法では、人の苦しみは単に症状の問題ではなく、
接触の障害として捉えられます。
本来、私たちは
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自分の感覚に触れ
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欲求に気づき
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環境と接触し
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必要な表現を行い
-
ひとつの体験を完了していく
という流れの中で生きています。
ところが、傷つきや関係性の学習の中で、この流れが途中で止まる。
感じたくない。
言いたくない。
欲しくないことにする。
怒りを飲み込む。
悲しみを考察に変える。
そうして、未完了の体験が積み重なっていきます。
この視点から見ると、「安全にしておくこと」は
未完了の体験に触れないままにする危険もあります。
なぜなら、ゲシュタルトにおいて回復とは
不快をなくすことではなく、接触を回復させることだからです。
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身体感覚に接触する
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今ここで起きている感情に接触する
-
相手とのあいだに起きていることに接触する
-
ずっと言えなかったことに接触する
この接触が起きたとき、はじめて人は「今ここ」に戻ってきます。
そして接触には、必ずある程度の不快が伴います。
本当は嫌だったことに気づくのは不快です。
本当は怒っていたと分かるのも不快です。
相手に期待していた自分に気づくのも不快です。
ゲシュタルトの視点では、
不快を避け続けることは、接触そのものを避け続けることになりかねません。
それでは、変化は起きません。
▪️ゲシュタルトにおける「安全」の本当の意味
ではゲシュタルト療法において、安全とは何か。
それは
何も起きないことではありません。
そうではなく、
起きていることに気づき、それを今ここで支えながら接触できること
です。
たとえば、
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喉が詰まる
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胸が苦しくなる
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言いたいのに言えない
-
相手に遠慮してしまう
こうした現象がセッションの中で起きたとき、それをすぐに消そうとするのではなく、
「今、喉に何が起きてる?」
「その詰まりの中に、どんな言葉がある?」
「ここで言わずにいることは何?」
と、今起きている体験そのものに触れていく。
これがゲシュタルト的な視点です。
つまり安全とは、
感情を出さないことでも、落ち着かせることでもなく、
起きていることを耐えうる形で、ともに見ていける場
なのです。
▪️精神分析の視点
〜人は抵抗する。だから変化には葛藤がある〜
精神分析の視点を入れると、もう一つ大事なことが見えてきます。
それは、人は苦しみから解放されたいと願いながら、
同時に変化に抵抗するということです。
これは矛盾ではありません。
むしろとても自然なことです。
たとえば、
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嫌と言えない人は、嫌と言えないことで関係を保ってきた
-
怒りを抑える人は、怒りを抑えることで見捨てられずに済んできた
-
我慢する人は、我慢することで愛されようとしてきた
つまり、その症状やパターンには「意味」があるのです。
精神分析ではこれを、防衛や抵抗として捉えます。
ここで重要なのは、
防衛は単なる悪ではないということです。
防衛は、その人がそれまで生き延びるために必要だった工夫です。
だからこそ、それは簡単には手放されません。
この視点から見ると、「安全にやりましょう」だけを強調することは、
ときに防衛をそのまま温存することになります。
なぜならクライアントは、もともと
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感じすぎないようにする
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波風を立てないようにする
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葛藤を避ける
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欲望を引っ込める
というやり方で自分を守ってきたからです。
そこにさらに「無理しなくていい」「不快に触れなくていい」が重なると、
防衛はますます洗練されます。
一見穏やかで、落ち着いていて、問題の少ないセッションになる。
しかし実際には、核心には全く触れていない。
精神分析的に言えば、それは
抵抗が空間の中で守られている状態です。
▪️精神分析における回復
〜葛藤を通らずには変わらない〜
精神分析の核心の一つは、
人は葛藤を通らずには変わらない、ということです。
本当は怒っている。
でも怒ると嫌われる気がする。
本当は求めている。
でも求めると恥ずかしい。
本当は依存したい。
でも依存したら負ける気がする。
こうした相反する力が、心の中にはいつも存在しています。
そして症状や停滞は、多くの場合この葛藤の表現です。
だから回復とは、単に落ち着くことではなく、
この葛藤を体験できるようになることです。
葛藤は不快です。
揺れます。
曖昧です。
はっきりしません。
でも、その不快な葛藤を通らずに、
ただ安定だけを目指すと、人は古いパターンのまま生き続けることになります。
精神分析の言葉で言えば、
変化には「解釈」だけでなく、抵抗の通過が必要です。
そして抵抗の通過には、ある程度の不快が必ず伴います。
▪️神経・ゲシュタルト・精神分析に共通すること
ここまで見てくると、立場は違っても
三つの視点には共通点があります。
神経系の視点では、
適切な負荷の中で柔軟性が育つ。
ゲシュタルトの視点では、
接触の回復の中で未完了が完了へ向かう。
精神分析の視点では、
抵抗と葛藤を通ることで古い防衛が変化する。
言葉は違っても、共通しているのは、
回復には、不快との接触が必要だ
ということです。
もちろん、それは圧倒されるほどの不快であってはならない。
再トラウマ化するほどの負荷でもいけない。
けれど、まったく不快のないところで、
本質的な回復が起きることもまた少ないのです。
▪️しかし、神経だけでは不十分な理由
ここで改めて重要になるのが、認知や意味づけの層です。
身体が緩んでも、
神経がある程度整っても、
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自分は我慢するべきだ
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嫌と言ってはいけない
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迷惑をかけてはいけない
こうした信念がそのままであれば、
人はまた同じ選択をします。
つまり、
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神経だけでも足りない
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感情表現だけでも足りない
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洞察だけでも足りない
のです。
必要なのは、それらが同時に動くことです。
身体が安全を感じる。
不快に接触する。
その中で新しい意味づけと選択が起きる。
そこではじめて、変化が現実になります。
▪️実際の変化はどこで起きるのか
現場を振り返ると、明確な変化が起きる場面には共通点があります。
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少し踏み込んだ瞬間
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避けてきたことに向き合った場面
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不快の中で何かを感じきったとき
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初めて相手に「NO」と言えたとき
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これまでの防衛に気づきながら、それでも別の選択をしたとき
こうした瞬間に、神経も、接触も、認知も、関係性も同時に動きます。
ただ楽になったからではない。
ただ理解したからでもない。
安全を土台にしながら、不快と接触し、古いパターンを越える新しい体験が起きたとき、人は変わります。
▪️回復が起こる3つの条件
本当の意味での回復は、次の三つが重なったときに進みます。
1. 神経が「ここは安全だ」と感じていること
揺れても戻ってこられる土台があること。
2. その中で、不快に触れていること
避けてきた感情、身体感覚、葛藤、関係性に接触していること。
3. 新しい選択が起きていること
いつもの防衛ではなく、少し違う行動や表現が生まれていること。
この三つには順序があります。
1があるから2が可能になる。
2があるから3が起きる。
だから「安全」は必要です。
でも、
安全は出発点であって、目的地ではない。
ここを取り違えると、セラピーは回復ではなく停滞を生みます。
▪️まとめ
セラピーにおいて、安全は必要です。
けれど、安全だけでは変化は起こりません。
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神経系は適切な負荷の中で育つ
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ゲシュタルト的には、接触の回復が必要である
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精神分析的には、抵抗と葛藤を通る必要がある
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認知パターンが変わらなければ、行動は変わらない
つまり回復とは、
安全な土台の上で、不快に触れ、未完了や葛藤や抵抗を通り、新しい選択が起きること
です。
人は、ただ安心したから変わるのではありません。
また、ただ揺さぶられたから変わるのでもありません。
安心を土台にしながら、不快に接触し、その中でこれまでと違う在り方を体験したときに、初めて変わっていく。
それが、現場で起きている本当の回復だと感じています。
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