身体の構造には狭くなった部分が2か所あります。
首と腰です。
今回は首に焦点をあてます。
首は頭と体とを結ぶ伝導菅のような役割をしており
首の緊張は一般的に最も良く現れる部分です。
頭と胴体の繋がりというと理解しやすいかもしれません。
アレクサンダーやフェルデンクライスでも、動きに関わる重要な部位として扱い
ボーンズフォーライフでは「橋を架ける」という表現で様々なレッスンを行う事の多い箇所です。
身体心理療法では、単なる機能としての側面ではなく、ここに感覚、感情の流れを想定します。
首の緊張は、「頭と体が繋がっているという感覚」を切り離す働きをしています。
現代に最も多く見られる緊張です。
多くの方が頭と同一化し、体と離れた感覚で日常を生きています。
客観的に体を捉え、頭の知識で身体を考える事に必死な方にとっては
主観的な身体の感覚を持つことはとても困難です。
この分裂が強くなり過ぎると、頭痛などの症状はもちろん
身体を感じることに違和感を覚えたり
逆に頭を異物の様に感じる方もいます。
特徴的な反応は
思考を離れた本来自由で健康な状態を体験すると、逆に落ち着かなくなることです。
思考的に囚われのない純粋な自分を寧ろ嫌がってしまうのです。![]()
何かを「考えていなければ」と脅迫的、積極的に空想を生きてしまいます。
これらをの状態を見分けるのは容易です。
頭に同一化すると、喉、首の後ろの緊張が強く出るからです。
言葉は嘘をつけても、身体は決して嘘をつきません。
特に頭と胴体の繋がりを切断する際に多く見られる症状は「喉」の反応です。
感情と思考を切断する際に最も効率の良い手段とも言えます。
ニュースキャスターのような心のこもらない言葉や
ヒステリックな表現なども「本当の感情を過剰に防衛する行為」としては
切断の反応です。
感情表現の苦手な日本人ならではの症状とも言えるかもしれません。
喉の締め付け、大きな声が出ない、などの症状は良く見られるものです。
喉に抑え込まれている主な感情は
泣き、叫び、といった表現になる傾向があります。
ワークを通して喉や首の緊張が解放されると
抑えつけられていた感情が、
当時のままの表現形態で激しく出てくることがしばしばあります。
私達の生きる社会の子供達は、うるさくすることを許されません。
そんな中で、真の表現者である子供達に出来ることは
怒りを飲み込み、悲しみを締め殺す方法を学ぶことです。
長く習慣化され、飲み込み、絞め殺した感情は、いつも子供の頃のまま身体の奥深くにため込まれています。
感情が解放された時、ようやく頭と胴体の繋がりに気づき、
優雅で「澄んだ」感覚を思い出すことが出来るのです。
首の緊張のない人々、子供達、あるいは動物達からすれば、
当然のことのような表現も
長年の緊張のある方にとっては、様々な障壁に苦難を感じることでしょう。
しかし、それは複雑な事ではなく、頭(思考)に同一化したことによる過剰なブレーキです。
ブレーキを緩め、感情に思考をゆだねる事で徐々に喉の緊張も解放されていきます。
感情を言葉に出来る能力は「感情を伴った反応が出来る」という、人間としての基本的な責任です。
現代の社会要請は「大人風」な振る舞いに重きを置きすぎているように思います。
それが逆に、個人の自由を抑圧し、他者、あるいは子へと伝承、投影されていくという悪循環を生んでいます。
緊張と抑圧の循環ではなく、自由の循環を行う事が人間としての責任ではないでしょうか。
喉を開き想いを声にする。
この当たり前の機能を回復していく事は、様々な人間関係が豊かになるためにも必要不可欠なことなのです。

