「自分」が何であるかがわからないのに、
何をするのか、どうしたいのか、などと考えても、わかるはずがありません。
それは、空腹かどうかも知らずに、何を食べるのかだけを考え続けているようなものです。
理想の未来を描く前に、「自分」を理解し、そして体験することが重要です。
■自分は一つの作品
自分とは、一つの作品のようなものです。
白紙で生まれた赤ん坊が、親や社会の価値観を取り入れたり、ときに抵抗したりしながら作り上げてきた粘土細工のような存在です。
この作品に費やす時間や労力が大きければ大きいほど、自分はそれと融合し、やがてそれが全ての自分だと錯覚します。
そして、それを失うことを恐れ始めます。
これが生きづらさの始まりです。
しかし、その「自分」は単なる一つの作品にすぎません。
それを演じるためだけの映画のストーリーを生きているに過ぎないのです。
作品に融合したままでは、「何者でもなかった本来の私」に気づくことすらできません。
まさに、映画『マトリックス』の世界観です。

■「自分」は思考
本来、人間は「自分」を超越した存在です。
ところが思考は、自分というストーリーを遂行するために他者の価値観を取り入れ、比較し、解析し、分断します。
-
「今より〇〇のほうが良い」
-
「〇〇が幸せになる方法だ」
-
「もっと勉強したほうが良いよ」
こうした“あるべき姿”を思考は描き続け、私たちを自分劇場の中でもがかせます。
作り上げた偽物の自分を演じることは、思考にとっては楽なことです。
たとえ故障していても、乗り慣れた車を手放せないようなものだからです。
■抑圧と投影
思考の自分に支配されると、楽で不満足な生き方を選びがちになり、本来の自己を抑圧します。
抑圧されたものは、過度な投影として現れます。
思考で捉えられないものを排除するために疑念を持ち、他者との対立を生み出します。
言葉による思考は、そもそも対立を生みやすい性質を持っているのです。
■思考を離れ、本来の自分へ
本来の自分は、思考を離れたときに、身体や感覚を通して体験できます。
ただ思考を静めるだけではなく、身体を解放し、滞っていたエネルギーを流す必要があります。
ヨガでも、まずアーサナで身体を調えた後に、瞑想を中心とするラージャヨガへと進みます。
身体心理療法でも同様に、身体のエネルギーブロックを解きほぐしていきます。
その滞りは、ヨガのチャクラとほぼ連動しています。
実際、ローエンによるバイオエナジェティクスは「動的なヨガ」とも呼ばれています。
■sonomamaのセラピー
sonomamaのセラピーは、
自分劇場に気づき、身体を固めて作った仮の粘土細工を元に戻すことで、本来の姿を感じていくワークを中心に行います。
自分劇場をやめた先にスペースが生まれると、
「何者でもない自分」と「何にでもなれる感覚」を同時に体験できます。
回復していく方を見ていると、まるで根拠なき自信を持つ幼い子どものよう。
そういう意味では、「大人の自分劇場」を一度やめてみる時間とも言えるでしょう。
■今すぐできる簡単ワーク ― 自分劇場を降りる3分間
ここからは、実際に“自分劇場”から降りる感覚を体験するための、短いワークを紹介します。
思考から離れ、身体に意識を戻すことで、「何者でもない自分」の入り口に立つことができます。
① 足で「今ここ」を感じる
-
椅子に腰掛け、足裏全体を床につける。
-
かかと、土踏まず、指先が床に触れている感覚を順に感じる。
-
息を吐くたびに、足裏から体重がじんわり落ちていくのをイメージする。
② 呼吸と身体の“波”を観察
-
息を吸うときに、お腹や胸が自然に広がるのを感じる。
-
息を吐くときに、肩や背中がゆるみ、重さが床へ沈んでいく感覚を味わう。
-
「吸う→広がる」「吐く→沈む」の波を3〜5回繰り返す。
③ 声と動きでひと呼吸
-
息を大きく吸い、ゆっくり吐きながら「ふぅ〜」と声を出す(音程は自由)。
-
声を出しながら首や肩を軽く回し、こわばりを感じた部分を少し伸ばす。
-
「ふぅ〜」と吐き切ったら、2〜3秒その静けさを味わう。
ワーク後は・・
目を開けたとき、頭が静かになり、身体の内側に少し広がりを感じたらOKです。
この短い時間が、日常の中で「自分劇場」を降ろす小さな練習になります。

