
仕事や家事、育児をしている間は、しんどさをあまり感じない。
けれど、一人になった途端に考えが止まらなくなったり、理由のはっきりしない罪悪感が出てきたりする。
周囲から見ると、忙しく動いている時間の方が大変そうに見えます。
ところが本人にとっては、何かをしている間の方がまだ楽で、何もすることがなくなった時間の方が苦しくなるのです。
これは、意志が弱いからでも、休み方が下手だからでもありません。
ボディーサイコセラピーの視点では、身体が長いあいだ、
「動いていることで自分を保つ」
という方法を身につけてきた可能性を考えます。
動いているときに保たれる自分
仕事や育児には、やるべきことがあります。
次に何をするのかが決まっていて、周囲から求められる役割もあります。
その間、意識は外側の課題に向かいます。
身体も、動くこと、考えること、役に立つことによって、ひとつにまとまりやすくなります。
けれど、役割がなくなり、一人になって立ち止まると、それまで抑えられていた疲れや不安、寂しさ、自己否定的な考えが前に出てくることがあります。
すると身体は、休むことを安心とは感じられません。
立ち止まることが、かえって危険なことのように感じられるのです。
そのため、無意識のうちに考え続けたり、何かを探したり、次の用事を作ったりして、止まらないようにします。
考えすぎているように見えて、実際には、思考によって自分を支えていることもあります。
思考は苦しさの原因であると同時に、身体の内側にある疲れや感情に触れすぎないための支えにもなっているのです。
身体は反応しているのに、何も感じない
身体に働きかけるワークをすると、筋肉が強く収縮したり、手足が震えたり、呼吸が変化したりすることがあります。
ところが本人は、
「何も感じない」
「よく分からない」
と話すことがあります。
これは、身体が反応していないということではありません。
むしろ身体では強いことが起きているけれど、それを感情や感覚として受け取ることが難しくなっている状態です。
身体の反応と、意識の中で体験できることとの間に、距離があるのです。
また、身体の反応が強くなりすぎると、ぼんやりしたり、眠くなったり、返事が遅くなったりすることもあります。
一見すると、力が抜けてリラックスしたように見えるかもしれません。
しかし実際には、身体の中で起きていることが大きすぎて、意識がその場にとどまれなくなっている可能性があります。
このような状態では、身体を大きく揺らしたり、感情を強く表現したりすることが、必ずしも回復につながるとは限りません。
大切なのは、強く感じることではなく、意識を保ちながら身体にとどまれることです。
身体に反応が起きていても、本人がそこにいなければ、その体験は十分に統合されません。
解放する前に、支えられる経験を
ボディーサイコセラピーの古典的なアプローチでは、身体に蓄積された筋緊張や、抑えられてきた感情を解放することが重視されてきました。
それは現在でも、大切なプロセスのひとつです。
しかし、人によっては、解放よりも先に必要なものがあります。
それは、支えられることです。
床に身体を預ける。
背中を支えてもらう。
自分で動かすのではなく、ゆっくりと動かしてもらう。
頑張らなくても、身体がそこにあってよいと知る。
こうした一見小さな体験が、休めない身体にとっては、とても大切です。
いつも自分で身体を支え、周囲に合わせ、役割を果たし続けてきた人にとって、誰かに支えられることや、何もしないまま存在することは、慣れない体験かもしれません。
力を抜こうとしても、すぐには抜けないことがあります。
「リラックスしてください」と言われるほど、かえって緊張することさえあります。
それは、身体が意地を張って抵抗しているのではありません。
身体がこれまで、緊張することによって自分を守ってきたからです。
その緊張には、その人なりの理由があります。
無理に取り除こうとせず、まずは緊張したままでも支えられることが大切です。
「休みたい」という身体の言葉
身体を支えられながら、ゆっくりとした時間を過ごしていると、ふと自分の中から言葉が出てくることがあります。
「休みたい」
「寂しい」
「助けてほしい」
これらの言葉は、単に睡眠時間が足りないという意味だけではないかもしれません。
身体の力を抜けない。
役割や責任から降りられない。
一人になっても安心できない。
誰かに任せることができない。
自分だけが休むことに罪悪感がある。
そうした状態全体を、身体が伝えていることがあります。
頭では「休んだ方がよい」と分かっていても、身体は「止まったら危ない」と感じています。
このとき必要なのは、休むように自分を説得することではありません。
身体に、少しずつ新しい経験を伝えていくことです。
止まっても大丈夫だった。
何もしなくても見捨てられなかった。
力を抜いても崩れなかった。
支えてもらっても、自分を失わなかった。
そうした経験が積み重なることで、身体は少しずつ、休むことを危険ではないと学んでいきます。
休むとは、力を抜くことだけではない
本当の意味で休むことは、単に横になることや、予定を減らすことではありません。
自分を支え続けなくてもよいと、身体が感じられることです。
何かをしていなくても、自分がここにいてよいと感じられることです。
そのため、回復を急いで感情を深く掘り下げたり、強い身体反応を起こしたりする必要はありません。
まずは、今いる部屋を見ること。
床や椅子に身体を支えられていることを確かめること。
手や背中に触れてもらい、自分の身体の輪郭を感じること。
小さく安全な動きを、頑張らずに受け取ること。
ボディーサイコセラピーでは、その人が意識を保ちながら体験できる範囲を大切にします。
強く変化することよりも、身体に戻ってこられること。
緊張をなくすことよりも、緊張している自分を支えられること。
感情を解放することよりも、自分の中で起きていることが少しずつつながっていくこと。
そこから、回復は始まります。
解放よりも、統合へ
身体に大きな反応が起きることが、必ずしも深いセラピーを意味するわけではありません。
涙が出ること。
身体が震えること。
感情が強く表現されること。
これらは大切な体験になることがありますが、反応の大きさだけで回復を判断することはできません。
重要なのは、その体験の中に本人の意識があり、自分に何が起きているのかを少しずつ受け取れることです。
身体の反応、感情、感覚、言葉、意識。
それまで離れていたものが、無理のない速さでつながっていく。
ボディーサイコセラピーにおける統合とは、強い反応を起こすことではなく、自分の体験を自分のものとして取り戻していく過程です。
活性化よりも支持。
解放よりも統合。
内側を深く感じることよりも、外の世界との接触を保つこと。
こうした順序が必要になる場合があります。
休めない自分を責めない
休もうとしても休めないのは、努力が足りないからではありません。
あなたの身体は、休みたくないのではないのです。
これまで、安心して休める状況が十分になかったのかもしれません。
動き続けること。
役に立つこと。
考え続けること。
身体に力を入れること。
それらはすべて、自分を保ち、日々を生きていくために必要だった方法です。
だからこそ、その方法を急に手放す必要はありません。
これから必要なのは、自分で頑張って支える方法だけでなく、ほかのものにも支えてもらえると身体が知っていくことです。
床に支えられる。
椅子に預ける。
人の手を借りる。
誰かと一緒にいる。
何もしなくても、そこにいてよいと感じる。
本当に休むとは、無理に力を抜くことではありません。
「ここでは、少し休んでも大丈夫かもしれない」
と身体が感じられる時間を、少しずつ増やしていくことなのです。
salonsonomamaでは、ゲシュタルト療法、心理カウンセリング、ボディサイコセラピー、ムーブメントインテリジェンス、ポリヴェーガル理論などをベースに、
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