
性格構造と身体
頭では理解している。
自分の性格も、人間関係の問題も、なぜ同じことを繰り返してしまうのかも。
何度も考え、自分なりに理解してきた。
でも、
「今、どんな気持ち?」
と聞かれると、うまく答えられない。
頭の中ではさまざまなことが起きているのに、身体の感覚はどこか遠い。
人とつながりたいのに、近づかれると苦しくなる。
寂しさを感じているのに、一人になりたくなる。
そんな、一見矛盾しているような体験があります。
身体心理療法では、こうした心と身体の関係にも目を向けていきます。
性格構造という考え方
身体心理療法には「性格構造」という考え方があります。
人が幼い頃から、周囲の環境に適応し、自分を守るために身につけてきた心と身体のパターンを理解するための理論です。
フロイトやライヒの研究の流れを受け、ローエンが身体的な特徴と結びつけて発展させ、その後もさまざまな心理療法家によって、発達や人間関係の視点から深められてきました。
今回取り上げるのは、古典的な性格構造論で「スキゾイド」と呼ばれてきたものです。
ここでいうスキゾイドは、統合失調症や精神医学的な診断を意味するものではありません。
その人がどのように世界を経験し、心と身体を守ってきたのか。
それを理解するための、一つの理論的な視点です。
「ここにいてもよい」と感じられるか
スティーブン・ジョンソンは、この性格構造について「存在する権利」というテーマを扱っています。
また、性格構造論では「憎まれた子ども」という象徴的な表現が用いられることもあります。
これは、実際に親から憎まれていたという意味ではありません。
とても幼い頃。
誰かに近づいたときに怖さを感じたり、自分の存在が歓迎されていないように感じたり。
周囲の刺激が強すぎたり、安心できる接触が十分に得られなかったり。
そうした体験の中で、世界や他者との接触を脅威として感じるようになった可能性を考えます。
本当は誰かとつながりたい。
けれども、近づくことが怖い。

そこには恐怖だけでなく、怒りや悲しみもあるかもしれません。
しかし、幼い身体にとって、そうした強い感情や刺激を受け止めることは簡単ではありません。
そこで、一つの適応が生まれます。
感じることから距離をとり、思考や想像の世界へ退避すること。
考える。
観察する。
想像する。
身体の感覚や感情から、少し距離をとる。
そのようにして、自分を守ろうとするのです。
大人になった今では生きづらさにつながっている反応も、かつては自分を守るために必要な工夫だったのかもしれません。
身体に現れる防衛
ここからが、身体心理療法の興味深いところです。
ライヒやローエンは、人間の防衛を心理的な働きだけではなく、身体の緊張や姿勢、呼吸にも現れるものとして考えました。
ライヒは、慢性的な筋肉の緊張による防衛を「筋肉の鎧」という概念で説明しています。
スキゾイド構造論では、首や関節、横隔膜などの固定や緊張、浅い呼吸、身体全体のまとまりの乏しさなどが論じられます。
僕自身、実際のセッションの中でも、こうした傾向は感じることがあります。
特に首の後ろの強い収縮や、横隔膜周辺の緊張に出会うことがあります。
ただし、重視しているのは、身体の形そのものよりも、
思考と感情、頭と身体のつながりが弱くなっている状態です。
頭では「怖くない」と理解している。
それでも身体は強く緊張している。
ショックな出来事があったにもかかわらず、何を感じているのかよくわからない。
頭では普通に会話していても、足元の感覚が薄かったり、
自分がそこにいる実感が乏しかったりする。
身体はそこにあるのに、本人の体験はどこか別のところにあるような感覚です。
まるで、頭だけが先に進み、身体が置き去りになっているような状態。
もちろん、実際に首で神経や感覚が遮断されているという意味ではありません。
また、首が硬いからスキゾイドである、という単純な話でもありません。
こうした身体と心理の関係は、身体心理療法の中で発展してきた理論的な見立ての一つであり、
個々の身体的特徴から性格構造を確定できるわけではありません。
大人になって現れる生きづらさ
幼い頃には役立っていた適応の方法が、大人になっても自動的に働き続けることがあります。
人と仲良くなりたい。
でも、親しくなると距離を取りたくなる。
一人でいると寂しい。
でも、人と一緒にいると疲れてしまう。
自分のことを理解してほしい。
でも、深く知られることには怖さがある。
そして、何かを感じそうになると、すぐに考え始める。
「これは過去の経験が影響しているのかもしれない」
「相手にも事情があったのだろう」
「愛着の問題が関係しているのではないか」
自分の体験について、非常に詳しく説明できる人もいます。
しかし、その瞬間に身体で何を感じているのかは、よくわからない。
もちろん、考えること自体が悪いわけではありません。
むしろ、考える力によって自分を守り、人生を切り開いてきた人もいます。
ただ、その方法しか選べなくなってしまうと、苦しさが生まれることがあります。
かつて自分を守ってくれた方法が、今度は自分の自由を制限してしまう。
性格構造を理解するうえで、大切な視点の一つだと思います。

育ててきた力
性格構造論では、防衛だけではなく、その人が育ててきた能力にも目を向けます。
スキゾイド的な構造については、「創造者」という肯定的な側面が語られることもあります。
豊かな想像力。
独特の世界観。
深く物事を考える力。
人とは違う角度から世界を見ること。
外の世界から距離をとることで、自分の内側に豊かな世界を育ててきた人もいます。
そのため、僕はこうした性格構造を、単に問題のあるものとは考えたくありません。
その人の防衛と、その人が持つ魅力。
それらは、同じ人生の歴史の中で育ってきたものかもしれないからです。
もちろん、スキゾイド的な傾向がある人すべてに、特別な創造性や才能があるという意味ではありません。
大切なのは、困っている部分だけを見るのではなく、その人が身につけてきた力にも目を向けることです。

セラピーでは何を大切にするのか
ここが、最も大切なところです。
身体の感覚から離れることで自分を守ってきた人に、いきなり
「もっと身体を感じてみましょう」
「感情を出してみましょう」
と促しても、うまくいくとは限りません。
なぜなら、感じることそのものが怖かったのかもしれないからです。
だからこそ、まずは安心できる距離や支えを見つけていくことが大切になります。
相手とどのくらいの距離で関わりたいのか。
どんな姿勢なら楽にいられるのか。
身体を少し預けてみると、何が起きるのか。
少し動いてみると、どんな感覚があるのか。
身体を感じることが難しければ、無理に感じようとする必要はありません。
話したり、動いたり、ときには何もしなかったり。
その人のペースを大切にしながら、少しずつ自分の感覚を確かめていきます。
そして、人との関係の中で新しい経験を重ねていきます。
「ここにいても大丈夫」
「誰かと近づいても、自分を失わずにいられる」
そんな感覚が少しずつ育ってくると、今までとは違う選択ができるようになるかもしれません。
特に、自分がここに存在してよいという感覚に関わるテーマでは、身体に戻ることや他者との接触を急がないことが重要だと考えています。
防衛を無理に壊そうとしないこと。
その防衛が必要だった事情を尊重しながら、新しい経験を少しずつ増やしていくこと。
僕は、それを大切にしています。
性格を変えるのではなく、可能性を広げる
ここまで性格構造について説明してきましたが、これらは人を分類するための診断ではありません。
誰もが複数の防衛の仕方を持っていますし、幼少期の経験だけで現在の性格が決まるわけでもありません。
理論の中では整理して説明できても、実際に目の前の人と関わってみると、人間はそんなに単純ではありません。
だからこそ、僕が関心を向けているのは、
「この人は何タイプなのか?」
ということよりも、
「この人には、なぜこの生き方が必要だったのだろう?」
ということです。
そして、
「今は、どんな新しい生き方ができるだろう?」
ということ。
思考の世界に退避することで自分を守ってきた人が、少しずつ身体の中にも居場所を見つけていく。
考えることもできる。
感じることもできる。
人に近づくことも、離れることも、自分で選べる。
それまでの生き方を否定するのではなく、今の自分に合った新しい選択肢を増やしていく。
頭だけではなく、身体も一緒に生きていけるようになる。
そんな変化の過程に立ち会えることは、僕にとっても興味深く、大切な時間です。
人間というのは、本当に奥深いものだと思います。
salon Sonomamaでは、
何か新しい自分になることよりも、今ここにいる自分と、もう一度出会っていくことを大切にしています。
話すことだけでなく、身体に起きていること、人との関わりの中で起きていることにも目を向けながら、その方のペースに合わせてセッションを進めていきます。
「もっと自然体で過ごしたい」
「人といても、自分でいられるようになりたい」
「今の人生を、もう少し深く味わいたい」
そんな時は、何かを整えてからではなく、今のあなたのままでお越しください。
個人セッションのほか、グループワーク、オンライン講座なども行っています。
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