
「神経系を整える」
「安心できる状態に戻る」
「リラックスできる身体をつくる」
最近は、心理療法や身体的なアプローチの中では特に大切にされています。
安心できることは大切です。
長い間緊張し続けてきた人にとって、身体の力が抜けることや、
人と一緒にいても警戒しなくていいという体験は、とても重要なものです。
しかし、そこで少し立ち止まって考えたいこともあります。
人間の身体は、本当にいつも「穏やか」であることを目指しているのか。
怒り、興奮し、怖くなる。
胸が高鳴ることもあるし
声を上げたくなることだってある。
時には、自分でも扱いきれないほど感情が動くこともあります。
これらが全て「神経系が乱れている状態」として処理されてしまうと、
私たちは再び身体に対して、
「そんなふうになってはいけない」
と命令することになります。
一見すると自己調整のように見えて、
実際には昔から続いてきた自己抑圧を、
別の言葉で繰り返しているだけなのかもしれません。
生きている身体には「波」がある
ボディーサイコセラピーでは、身体を単にリラックスさせるだけではなく、生命のエネルギーがどのように高まり、保持され、表現されていくのかを見ていきます。
その流れを考えるとき、わかりやすいのが、
チャージ
コンテイメント
ディスチャージ
という三つのプロセスです。

チャージとは、身体の中にエネルギーが高まってくることです。
何かを欲しいと思ったとき。
嫌だと思ったとき。
怒りが湧いたとき。
逃げたいとき。
身体の中では、何らかの方向へ動こうとする力が生まれます。
呼吸が強くなったり、筋肉に力が入ったり、心拍が上がったり、
身体が前に出ようとしたりする。
これは必ずしも「不調」ではないのです。
生きている身体が、正常に反応しているということです。
怒りもまた、身体のエネルギーである
例えば、怒りをネガティブだと感じている方も多いでしょう。
しかし、怒りを「交感神経が上がりすぎている状態」
不安定、とだけ理解してしまうと、私たちはすぐに落ち着こうとします。
深呼吸をする。
距離を取る。
静かな状態に戻る。
それが必要な場面はあります。
しかし、怒りそのものが悪いわけではありません。
怒りは、誰かに境界線を越えられたとき、
「やめてほしい」
「近づかないでほしい」
「私は嫌だ」
と身体が立ち上がろうとする境界を守る力です。

その力を毎回「落ち着かなければ」と下げ続けていたら、
その人は安全にはなっても、自分を守る力を失ってしまうかもしれません。
単純に興奮を下げるということは、生きる力も奪うことになるかもしれません。
大切なのは
必要なときにエネルギーを上げられる身体であること
そして、その力に飲み込まれないことです。
コンテイメントは「我慢」ではない
ここで大切になるのがコンテイメント、つまり「保持する力」です。
例えば
怒りが10まで上がった瞬間に殴る。
怖くなった瞬間に逃げる。
悲しくなった瞬間に泣き崩れる。
これでは、身体に起きたエネルギーを自分で抱えておくことができません。
反対に、
怒ってはいけない。
泣いてはいけない。
動揺してはいけない。
と全部を固めてしまうのもコンテイメントではありません。
感情を押し殺すこととは違います。
コンテイメントとは、
「私は今、これだけ強く感じている。それでも私はここにいられる」
という身体的な容量です。

怒りを感じながら立ち、泣きたい感覚を持ちながら、その場にとどまれる。
身体の中に生まれたエネルギーを、
すぐに消すことも、すぐに外へ放つこともせず、
しばらく自分の中に置いておく。
ここに、人間の成熟した自己調整があります。
ディスチャージは「発散」だけではない
そして、十分にチャージされ、十分に保持されたものは、
やがて何らかの形で外へ向かいます。
それがディスチャージです。
ため息になるかもしれませんし、涙になるかもしれません。
大きな声になるかもしれない。
子供を見ているとわかるように
身体の震えや動きになることもあります。
大人なら、
「私は怒っている」
「本当は怖かった」
「寂しかった」
と伝えることかもしれません。
ディスチャージというと、
叫ぶ、叩く、激しく身体を動かすようなカタルシスを想像するかもしれません。
しかし、大切なのは激しく発散することだけではありません。
身体の中で途中になっていた反応が、
自分にとって意味のある形で完了していくことです。
ただ怒りを爆発させればいいわけでもありません。
チャージだけでもない。
ディスチャージだけでもない。
その間に、自分の中に起きているものを感じ、それを抱えておく力が必要になります。
呼吸は、吸気と呼気の間が大切です。それと同じように、
十分に保持し、意味を持って感じることが大切なのです。
不安定になることが、必ずしも後退とは限らない
セラピーでは、体験していない方からすれば
よくわからない、不思議なことが起こります。
静かだった人が、急に怒るようになったり、我慢できていた人が、
頻繁に「嫌だ」とか言うようになる。
感情がフラットで冷静だった人が、
泣いたり、怖がったり、混乱したりするようになる。
表面だけを見れば、
「前より不安定になった」
ように見えるかもしれません。
しかし、それはそれまでの安定が、
身体を固め、感情を感じないことで成り立っていた。
ということなのです。
当然身体が再び感じ始めたとき、最初に現れるのは必ずしも
穏やかさでは無いわけです。
大抵、強い怒り、悲しみです。
身体が震え、自分でも気づけなかった衝動が湧きます。
つまり、
不安定になったのではなく、止まっていた身体が再び動き始めた
ということもある。

寧ろ現場感覚で言えば、回復のプロセスに伴って
当たり前に起きてくることです。
健康とは「ずっと穏やかでいること」ではない
生きている身体は、一定ではありません。
興奮し、力をため、表現し、
疲れて休み、また動き出す。
自然な波があります。
人との関係でも同じです。
近づきたいときもあれば、離れたいときもある。
怒ることもあれば、甘えたいこともある。
安心することもあれば、不安になることもあります。
健康とは、その波がなくなることではありません。
波の中を動けることです。
チャージできる。
そのエネルギーを保持できる。
そして必要な形で外へ向けることができる。
その後、再び休むことができる。
身体の健康とは、この循環そのものなのではないかと思っています。
「整える」よりも、「動ける身体」へ
健康の目的が、いつも穏やかで、怒らず、不安にならず、乱れない人をつくることなら、それは少し不自然です。
人は生きている限り、揺れます。
傷つき、怒り、怖がります。
喜んだり、誰かを求めたりもします。
そして、ときには大きく乱れます。
大切なのは、その反応をなくすことではないのです。
その反応の中にいながら、自分を失わないこと。
身体の中に起きているものを感じ、それを抱え、必要なら表現し、
また静けさへ戻ってこられること。
「整った身体」ではなく、
動ける身体。
「乱れない身体」ではなく、
乱れても戻ってこられる身体。
幸せな人生には、そんな「生きた身体」に戻ることが大切なのだと思います。

