なぜ人は身体を固めてまで「ちゃんとした自分」を演じるのか ― 姿勢に現れる「理想の自分」とナルシシズム

2026.09.07

胸を張り、お腹を引っ込め、背筋を伸ばす。

肩に力を入れて、正しい姿勢のように振る舞う。

私たちは普段、自分の姿を単なる「姿勢の癖」として見ています。

しかし、ボディサイコセラピーでは、姿勢を、その人がどんな自分であろうとしてきたのかを見ていきます。

「ちゃんとしていなければならない」「弱いところを見せてはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」「もっと頑張らなければならない」。

こうした「自分はこうあるべき」という思いは、頭の中だけにあるものではありません。身体もまた、その自分であろうとします。

では、なぜ人は身体を固めてまで、「ちゃんとした自分」であろうとするのでしょうか。

このことを考えるうえで、とても興味深いのが、アレクサンダー・ローエンのナルシシズムについての考え方です。

ナルシシズムは「自分を愛しすぎること」ではない

ナルシシズムという言葉から、自分が大好きで、自信満々で、自分を特別な存在だと思っている人を想像する人は多いと思います。

しかし、身体心理療法の一つであるバイオエナジェティックスを創始したアレクサンダー・ローエンは、『ナルシシズムという病』の中で、その本質を「真の自己の否定」として捉えています。

自分を愛しすぎているというより、むしろ本当の自分から離れてしまっている。

ここでいう「本当の自分」とは、何か特別な自分のことではありません。

悲しい。怖い。腹が立つ。寂しい。誰かに頼りたい。疲れたから休みたい。

身体を通して実際に感じている自分です。

ところが、そうした自分をそのまま表現して生きていけるとは限りません。

泣いたら「泣くな」と言われる。怒ったら嫌われる。人に頼ったら迷惑をかける。失敗したら認めてもらえない。

そうした経験を重ねながら、私たちは少しずつ「この自分ではいけない」と学んでいきます。

そして、本当の自分とは別に、「こういう自分であれば認めてもらえる」という自分のイメージを作っていきます。

強い自分。優しい自分。仕事のできる自分。いつも冷静な自分。人に迷惑をかけない自分。

いわば「理想の自分」です。

理想を持つこと自体が問題なのではありません。問題になるのは、その理想を生きるために、実際に感じている自分を否定し続けるようになったときです。

「理想の自分」は身体で作られる

ここで身体を見てみます。

本当は泣きたいのに、泣かない自分でいようとするとき、私たちは頭の中で「泣かない」と考えているだけではありません。

涙が出ないように息を止めたり、喉を締めたり、顎に力を入れたりします。

怖さを見せたくなければ、身体を大きく見せるように胸を張ることもあるでしょう。

怒りを出してはいけないと育ってきた人なら、外へ向かおうとする力を肩や腕、顎などで抑えているかもしれません。

つまり、感情を抑えるということは、身体の動きを抑えることでもあります。

「ちゃんとした自分」を演じ続けるために、身体もまた「ちゃんとした形」を維持し続ける。

それが何年、何十年と繰り返されれば、その緊張は本人にとって当たり前になります。

力が入っていることにさえ気づかなくなる。

ローエンの師であるヴィルヘルム・ライヒは、こうした慢性的な身体の緊張を「筋肉の鎧」と呼びました。

鎧は、その人を守ってきたものでもあります。

傷つかないため。感情が溢れないため。嫌われないため。自分を保つため。

だから、単純に「力を抜けばいい」という話ではありません。

身体が固くなったことにも、その人なりの理由があります。

「ちゃんとできる人」が評価される社会

さらに難しいのは、こうして作られた「理想の自分」が、社会の中では評価されることです。

多少しんどくても仕事に行く。弱音を吐かない。感情的にならない。人に頼らず自分でやる。求められた役割をきちんと果たす。

社会生活を送るうえでは、もちろん必要な力でもあります。

ただ、それがあまりにも強くなり、「自分が何を感じているか」より「どう振る舞うべきか」が常に優先されるようになると、エネルギーの使われる方向が変わってきます。

自分を生きるためではなく、自分を抑えるためにエネルギーを使うようになる。

疲れている自分を抑えて頑張る。怒っている自分を抑えて笑う。寂しい自分を抑えて「一人で大丈夫」と言う。

外から見れば、とても適応しているように見えるかもしれません。

でも身体の内側では、自己否定が繰り返されています。

そして、自分自身を内側から感じることが難しくなるほど、外側に自分の価値を求めるようになります。

人からどう見られているのか。認められているのか。自分は間違っていないのか。あの人より上なのか、下なのか。

自分を感じることよりも、他人を評価し、比較することにエネルギーが使われていく。

ローエンがナルシシズムの問題として捉えた「イメージへの同一化」は、こうして考えると、一部の特別な人だけの問題ではないように思います。

程度の差はあっても、私たちの中にもあるものです。

身体は「本当の自分」を忘れていない

では、抑え込まれた自分はどこへ行くのでしょうか。

僕は、なくなるわけではないと考えています。

頭では忘れたつもりでも、身体はその人が生きてきたものを抱えています。

長い間、自分の感情や欲求を抑え続ければ、身体が悲鳴をあげることもあります。

慢性的な緊張として現れることもあれば、反対に身体のエネルギーが落ち、力が入らないような状態になることもあります。不安や抑うつ、さまざまな身体症状として表面化することもあります。

もちろん、身体の症状にはさまざまな原因があり、すべてを心理的な問題として説明できるわけではありません。必要な医療を受けることも大切です。

ただ、症状を「なくさなければならないもの」として見るだけではなく、「この身体は何を伝えようとしているのだろう」と考えてみることには意味があります。

症状を抑えて、また頑張れる自分に戻る。

そしてまた自分を抑え、苦しくなったら症状を抑える。

もしそれを繰り返しているとしたら、必要なのは、さらに「ちゃんとした自分」になることではないのかもしれません。

姿勢を直す前に、身体を感じてみる

姿勢についても同じです。

猫背だから胸を張る。肩が内側に入っているから後ろへ引く。お腹が出ているから力を入れる。

外側から「正しい姿勢」に整えることはできます。

でも、なぜその姿勢になったのかを見ないまま形だけを変えると、それは身体にもう一つの「こうあるべき」を押しつけることにもなります。

この肩は、なぜ力を抜けないのだろう。

この胸は、何を守るために固くなったのだろう。

なぜ人前に立つと、お腹に力が入るのだろう。

姿勢を見ていくことは、自分の身体を矯正することではなく、これまで身体がどのように自分を守ってきたのかを知ることでもあります。

そして、その奥に押し込んできた感情や欲求を、少しずつ自分のものとして取り戻していく。

ローエンがいう「真の自己を取り戻す」ということも、僕はそんなふうに捉えています。

「こうあるべき自分」を捨てる必要はありません。

ただ、そこに使い続けてきたエネルギーを少し緩めて、「今、自分は何を感じているのか」に戻していく。

身体を固めてまで守ってきた「ちゃんとした自分」の奥には、ずっと感じてもらうのを待っている自分がいるのかもしれません。

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