「感じること」が、セラピーになるとは限らない ― ゲシュタルト療法と、感じられる身体について

2026.08.09

「心理療法では、

「自分の気持ちを感じることが大切」

と言われることがあります。

確かに、自分が何を感じているのかに気づくことは、とても大切です。

でも僕は、すべての人に最初から、

「身体を感じてみましょう」

「その感情に留まってみましょう」

「もっと自分の内側を見てみましょう」

と働きかけるわけではありません。

なぜなら、

感じないことで、自分を守ってきた人もいるからです。

一方で、自分の人生を自分で選んでいくためには、

「私は今、何を感じているのか」

「本当は何をしたいのか」

という自分自身の感覚に、いつか出会っていく必要があります。

この二つは、矛盾しているように見えるかもしれません。

でも、この間にあるものを丁寧に扱っていくことが、僕はセラピーではとても大切だと考えています。

◾️自分のことなのに、自分では気づいていない

僕がセラピーで使っている方法の一つに、ゲシュタルト療法があります。

ゲシュタルト療法というと、

椅子を置いて誰かに話しかける「エンプティチェア」や、感情を表現するワークを思い浮かべる人もいるかもしれません。

でも、それらはゲシュタルト療法の本質ではありません。

ゲシュタルト療法が大切にしているのは、

「今、自分に何が起きているのか」

そして、

「それを、自分がどのようにしているのか」

に気づくことです。

僕たちは、自分のことを分かっているようで、意外と分かっていません。

たとえば、

「人に頼ることができない」

「言いたいことが言えない」

「人の顔色ばかり見てしまう」

「同じような人間関係を繰り返してしまう」

こうした悩みがあったとします。

その理由について、

「親が厳しかったから」

「昔、人間関係で傷ついたから」

「自分に自信がないから」

と考えることはできます。

もちろん、過去を理解することにも意味があります。

でもゲシュタルト療法では、

「なぜそうなったのか」だけではなく、「それを今、どうやって起こしているのか」

を見ていきます。

◾️「悲しい」と「悲しんでいる」は、同じではない

たとえば、

「本当は悲しかったんです」

と話している人がいるとします。

ところが、その話をした瞬間に、

顎に力が入る。

呼吸が止まる。

目線を逸らす。

少し笑う。

そして、

「まあ、仕方なかったんですけどね」

と話題を終わらせようとする。

本人は、

「自分は悲しみを感じられない」

と思っているかもしれません。

でも、実際には違うことがあります。

悲しみがないのではなく、

悲しみが出てきた瞬間に、身体を固め、呼吸を止め、考えることで、その感情から離れている。

それが、今この瞬間にも起きている。

そこで、

「今、顎に力が入りましたね」

「そのことを話したとき、呼吸が止まりましたね」

「今、何が起きていますか?」

と、一緒に確かめていきます。

すると、

「泣きたくない」

という感覚が出てくるかもしれません。

さらにそこに留まってみると、

「泣いたら弱いと思われそう」

という怖さに気づくかもしれない。

ここで大切なのは、

セラピストが、

「あなたは悲しみを抑圧しています」

と答えを与えることではありません。

本人自身が、

「ああ、僕は悲しくなると、こうやって自分を止めていたんだ」

と気づくことです。

◾️気づいていないことは、選べない

では、なぜ「気づくこと」がそんなに大切なのでしょうか。

それは、

気づいていないことは、選ぶことができないからです。

たとえば、人に頼れない人がいたとします。

その人は、

「私は人に頼らない性格なんです」

と思っているかもしれません。

でも実際には、

「助けてほしい」

という気持ちが出た瞬間に、

身体を固める。

「迷惑をかけてはいけない」と考える。

相手から少し距離を取る。

そして最後には、

「やっぱり自分でやろう」

となっているのかもしれません。

それまで本人に見えていたのは、

「私は人に頼らない」

という結果だけです。

でも、その途中で自分が何をしているのかに気づくと、

「私は頼りたくない」

ではなく、

「頼りたい気持ちが出てくると、私は自分でそれを止めている」

ということが見えてきます。

すると、そこに選択肢が生まれます。

今まで通り、一人でやってもいい。

少しだけ頼ってみてもいい。

「頼りたいけれど、断られるのが怖い」

と伝えてみてもいい。

自分が何をしているのかが分かると、

自動的な反応だったものが、自分で選べるものへと変わっていきます。

これが、ゲシュタルト療法で「気づき」を大切にする大きな理由です。

◾️セラピーは、正しい答えを教える場所ではない

そのためゲシュタルト療法では、セラピストが、

「もっと人に頼った方がいいですよ」

「怒りを表現した方がいいですよ」

「もっと自分を大切にしましょう」

と、正しい答えを教えることを目的にはしていません。

その代わりに、ときには「実験」をします。

握っている拳を、少し意識してみる。

今している動きを、少し大きくしてみる。

身体の感覚に言葉を与えてみる。

言えなかった言葉を、相手が目の前にいるように話してみる。

普段とは反対のことを試してみる。

そして、

「それをすると、自分に何が起きるのか?」

を確かめます。

泣くことが正解ではありません。

怒りを出すことが正解でもありません。

何も感じないかもしれない。

「これはやりたくない」と思うかもしれない。

それも含めて、その人の体験です。

実験は、人を変えるためにするのではなく、

まだ知らなかった自分に気づくために行います。

◾️変わろうとするほど、変われなくなることがある

ここには、少し不思議な考え方があります。

人は、

「今の自分ではない何者かになろうとするほど、かえって変わりにくくなる」

というものです。

不安になってはいけない。

もっと自信を持たなければ。

人を信じなければ。

怒ってはいけない。

もっと前向きにならなければ。

こうやって、

「今の自分はダメだ」

というところから自分を変えようとすると、

「こうあるべき自分」と、

「実際に感じている自分」

が分かれていきます。

だからまず、

怖いなら、怖い。

近づきたいけれど、離れたい。

腹が立っているけれど、怒るのも怖い。

助けてほしいけれど、頼りたくない。

その両方が自分の中にあることを知っていく。

どちらかを消そうとせず、

今の自分がどうなっているのかを十分に知る。

すると不思議なことに、そこから変化が起こり始めます。

自分を無理やり変えるのではなく、

自分に気づくことで、自然に次の動きが生まれてくる。

ゲシュタルト療法では、これを「変化の逆説」と呼びます。

◾️そして、人は一人では変わらない

もう一つ大切なのが、人との関係です。

僕たちは、一人で存在しているわけではありません。

一人でいるときには平気なのに、ある人の前では身体が固くなる。

家では怒れるのに、職場では笑ってしまう。

ある人には「嫌だ」と言えるのに、別の人には言えない。

つまり、

自分がどうなるのかは、誰と、どんな状況にいるのかによっても変わります。

だからセラピーでも、

クライアントの内側だけを見ているわけではありません。

「今、僕から目を逸らしましたね」

「それを僕に話してみると、どんな感じがしますか?」

「今、少し離れたくなったように感じました」

と、

「今、あなたと僕の間で何が起きているのか」

も見ていきます。

セラピストは、外から人を分析するだけの存在ではありません。

人との間で起きていることも、自分自身を知るための大切な手がかりになります。

◾️でも、「感じること」が怖い人もいる

ここまで読むと、

「だったら、自分の身体や感情をどんどん感じればいい」

と思うかもしれません。

でも、僕はそうは考えていません。

sonomamaでは、最初から積極的なゲシュタルトワークをしないことがあります。

なぜなら、

感じることをやめることで、生き延びてきた人もいるからです。

身体を感じると怖くなる。

感情に触れると圧倒される。

人と向き合うと頭が真っ白になる。

自分の気持ちを感じるより先に、相手の状態が入ってくる。

そういう人に、

「もっと感じてください」

と働きかけても、必ずしもセラピーにはなりません。

感じることをやめているのには、その人なりの理由があります。

だから、

感じられないことを問題にする前に、なぜ感じないことが必要なのかを見る。

ここがとても大切になります。

◾️神経系の問題には、神経系へのアプローチを

たとえば、トラウマティックな経験などによって、

身体が常に危険に備えている。

少しの刺激で強く反応する。

逆に、急にシャットダウンする。

身体感覚に注意を向けることで、かえって不安や恐怖が強くなる。

そうした場合には、

「気づきを深めること」以前に、

神経系が体験を扱える状態を取り戻していくこと

が必要になる場合があります。

その場合には、神経系の問題を扱うためのアプローチを用います。

感じても圧倒されない。

興奮しても戻ってこられる。

身体の中に留まっていられる。

そうした調整する力を少しずつ取り戻していきます。

◾️身体そのものに、その人の生き方が現れていることもある

一方で、僕が使っているもう一つの方法に、ボディーサイコセラピーがあります。

これは、単に神経系を落ち着かせるためのものではありません。

身体には、その人が生きてきた歴史や、人との関わり方が現れていることがあります。

いつも胸を固めている。

呼吸を小さくしている。

足で身体を支えることが難しい。

手を伸ばすことができない。

声を出そうとすると、喉で止める。

人が近づくと身体を引く。

逆に、相手との境界が分からなくなる。

そうした身体のあり方は、

感情や欲求、発達、人との関係ともつながっています。

ボディーサイコセラピーでは、

身体とこころを別々のものとしてではなく、一人の人間に起きていることとして扱います。

呼吸する。

立つ。

支える。

押す。

手を伸ばす。

声を出す。

近づく。

離れる。

そうした身体の働きを通して、

その人がこれまで使えなくなっていた力や感情、欲求に触れていきます。

◾️その人によって、必要な入り口は違う

だからsonomamaでは、

「まずゲシュタルト療法をする」

「まず身体を緩める」

と決めているわけではありません。

神経系の問題が大きければ、そこを扱う。

身体そのものに現れている生き方や、感情、欲求、発達的なテーマを扱う必要があれば、ボディーサイコセラピーを使う。

そして、

自分の中で起きていることを感じ、そこに留まり、探究できるようになってきたら、

ゲシュタルト療法の「気づき」と「実験」が生きてきます。

実際には、きれいに一方向へ進むわけではありません。

行ったり来たりしながら、そのとき必要なことを扱います。

大切なのは、

どの療法を使うかではなく、今、その人に何が必要なのか。

ということです。

◾️安心することだけが、ゴールではない

そして僕は、

「安心できるようになること」だけをセラピーのゴールにはしていません。

安心は大切です。

でも、僕たちは安心するためだけに生きているわけではありません。

誰かを好きになる。

何かが欲しくなる。

腹が立つ。

挑戦する。

失敗する。

人とぶつかる。

離れる。

また近づく。

生きていれば、身体は揺れます。

大切なのは、

何も感じなくなることでも、

ずっと穏やかでいることでもありません。

いろいろなことを感じながらも、自分でいられること。

そして、

「私は今、何を感じている?」

「私は何が欲しい?」

「私はどうしたい?」

と、自分に戻ってこられること。

そこから、

自分で選ぶ。

人と関わる。

試してみる。

うまくいかなければ、また気づく。

そして、選び直す。

それが、人が自分自身を調整しながら生きていくということだと思っています。

◾️「こうしなければならない」から、「私はどうしたい?」へ

僕たちは知らないうちに、

「こうしなければならない」

をたくさん抱えて生きています。

迷惑をかけてはいけない。

弱いところを見せてはいけない。

ちゃんとしなければならない。

人に嫌われてはいけない。

一人でできなければならない。

そうやって生きているうちに、

「自分が何を感じているのか」

よりも、

「どうするべきなのか」

の方が大きくなっていくことがあります。

だから、セラピーでは、

自分を別の人間に作り変えるのではなく、

まず、自分が今何をしているのかに気づいていく。

必要なら、神経系の問題を扱う。

必要なら、身体そのものを扱う。

そして、人との関係の中でも自分を感じられるようになっていく。

その上で、

「私はどうしたい?」

という問いに戻ってくる。

その答えをセラピストが決めることはできません。

でも、

自分自身でその答えを感じ、選べるようになるための過程を、一緒に歩くことはできます。

それがセラピーの大切な役割の一つだと考えています。

salonsonomamaでは、ゲシュタルト療法、心理カウンセリング、ボディサイコセラピー、ムーブメントインテリジェンス、ポリヴェーガル理論などをベースに、
その方のペースに合わせながら、身体・心・神経へ丁寧にアプローチしていきます。

「もっと自然体で過ごしたい」
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